高血糖と低血糖のひらいクリニック

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内科/外科/糖尿病・内分泌内科/消化器内科/肛門内科/形成外科/ (予約優先) ひらいクリニック 大阪市中央区南船場3-2-6 大阪農林会館 B-1号室 TEL06-6125-5350 FAX06-6125-5351

ひらいクリニック

   外科OGTT脂質異常症甲状腺消化器総合診療科

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土地と場所に縁。。。。

Posted on: 月曜日, 12月 27th, 2010 in: クリニックより

 そういったことは本当にあったようです。1年少し前、今の場所にすむようになったのもあとで土地に縁があったと知りました。そのころに何度かモーニングを食べにいった喫茶に、最近になって再び行き始めました。ままさんの雰囲気もいいし、落ち着く場所だからです。平日しか空いてないので、最近はなかなか行くことができなかったのですが、先週末になんとなく行ってみたのです。

 夜は、スナックをしていることも知っていました。スナックの時間に行きたいなあと思って、月曜日に行ってみたのです。おじさんとおばさんのカップルがカラオケをして楽しそうでした。ザクロが女性ホルモンにいいのよって言いながら、あてとは別に出してくれました。あての盛り付けを見て、京都の方ですかと聞きました。当たりでした。私はもともと寝屋川だったので、京都はなじみの場所です。次の日が仕事だったので、早めに帰ろうとすると、ザクロをお土産にくれました。

 昨日は、なんとなく行ってみたくなって、とぼとぼと店に向かいました。休みの前の日だから、人が多かったらいやだなあと思いながら向かってたんです。店にはママ以外に二人の女性がいて、ひと組のカップルがいました。忙しそうにされていましたが、ときどき話をしてくれていました。少し遅れて一人の男性が来て、なじみなんでしょうね、おなかがいっぱいだからとコーヒーを出してもらっていました。

 ママがそばに座ってくれて、最近母を亡くされたこと、でも死んだ方のことが分かる方に、いろいろ聞いて悲しさが消えたこと、お父さんが迎えに来たから、命日が2日違いだったこと、ゆっくりと眠っていると聞いたことなど、話してくれました。わたしも、死者からのメッセージがわかるので、何となく意味がわかった気がしました。人の死には、必ず意味があるって話をしていました。

 隣の男性とママがしゃべってるのが聞こえてきて、金沢という話が聞こえました。びっくりしました。私、金沢には縁があるんですよっていう話をしていました。少しして帰ろうとすると名刺をくれました。なんと、石川県大阪事務所の方。。。。本当にびっくりしました。

 喫茶に再び行くようになったのも、ひょっとしたらママのお母さんに呼ばれたのかもしれません。そんなことを考えながら、ふわふわと帰り道、寄り道しながら帰ってきました。

 人との縁、土地との縁、何かに追われるような日々、何か意味があるんでしょうね。

生のカニを買ってみました

Posted on: 日曜日, 12月 26th, 2010 in: クリニックより

 最近、黒門市場にはまっています。すじ肉を探して、黒門市場をおとづれて見たのですが、まずは豆腐にはまってしまいました。すじ肉も、美味しい店を見つけました。豆腐を買いに行ったときに、動いているカニを見ました。3000円でした。旅館でカニの刺身を頼んだ時、いっぱいで、2万円したのに、たった3000円で売っているのです。思わず買ってしまいました。持って帰ってから、ネットで調べて、蟹の刺身の作り方を調べ、作ってみたところとっても甘かったです。ブランドのタグはついていなかったので、外国のものかもしれませんが、安くておいしいものが食べられるならいいですよね。。。

 黒門市場は昔に比べて人が少なくなったと聞きました。私は行ったことがなかったので、減ったかどうかはわかりませんが、京都の錦市場と比べると華やかさはありませんが、昔の市場の風景がそこにはあります。魚屋のお兄さんに、”今日鍋するの?”といわれ、そうですねと答えると、エビとかぶりとか、あまりもんだけどとつけてくれました。うれしいですよね、こういうやり取りが。。。

 かには、動いていたのですが、動いたままで袋に入れようとしていました。”動かないようにしてください”そう言いましたが、動いたままのほうが、刺身にすると美味しいそうです。家に戻ったらもう動いてないと思いきや。。。。まだ動いていたのでびっくり。。。。かにと目を合わさないように、足を頂戴しました。かにさんに申し訳ないと思いながら、こういったことが食物連鎖で、しかたのないことだと感じます。食べ物に感謝をしながら、今日も元気に生きていこうって思いますね。。。かにのためにもね。。。。。

いい話を読みました

Posted on: 土曜日, 12月 25th, 2010 in: クリニックより

 日経メディカルの記事で、いい記事を見ました。第18回日本乳癌学会学術総会(6月24日~25日)で順天堂医院乳腺センター長の霞富士雄氏が行った特別講演の記事です。霞先生はわたしが医者になって乳がんを始めたころから乳がんの世界の偉い先生でした。お話をしたことはありませんが、いつも霞先生の名前は聞いていました。その先生が本当にしんどい環境にあったと初めて知りました。同じ思いをたくさんされていたこともわかり、本当にびっくりしました。

 すでに偉い先生になられておられたので、ずっと乳がんだけをされている先生だと思っていました。ところが、東大紛争の時期で、医師免許すらとらなかったそうです。実践のみで医者の仕事をされてきて、後に医師免許を取って、癌研に行かれて消化器がんをされてから、乳がんをされたそうです。その後の日本の乳癌の歴史のことも書いておられます。そして、いまだに手術に入っておられることも最後に書かれていました。医者の本音を書かれていると思いました。この記事を読むためには、日経メディカルに登録が必要ですが、ぜひ読んでほしい記事です。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/search/cancer/cr/201012/517567.html

医者の給料。。。。

Posted on: 金曜日, 12月 24th, 2010 in: クリニックより

 大学間格差があることが分かりました。国公立は決まりがあるようですが、私立ではそうはいきません。知らなかったのですが、かなりの大学間格差があります。40歳男性外科医。。。。研修医にも指導する人が、たった18万円ですよ。。。。今は変わったかもしれませんが、研修医の給料が30万円と約束された後も同じことでした。

 でも、税務署はずっとそのことを知っていたはずです。源泉徴収票を出しますから、わかるはずですよね。。。。税務署はたくさん税金を払ってもらえればそれでいいので、そういう安い給料の医者がアルバイトでたくさんもらっていれば、別に何も言わないのでしょうが。。。でも、それでいいのでしょうか?医療ミスと言われるものが、こういったことがベースになっているために起こっていると思いませんか?だって、18万じゃ生活できないから、アルバイトに行かないとならないし、そしたら疲れていますよね。頭も回らなくなってくる。。。

 近畿厚生局でこの話をしたら、担当官にいわれました。”僕だったら就職しないなあ。。。”ところが一般の職業とは違います。先に契約内容の明示がないのです。助手になる申請書類は山ほど書かされるのに、労働条件の書類が1枚も来ません。あくまで、雇ってやるのは大学側の判断です。でも、医者は患者さんに迷惑をかけたくないから、勉強したいことがあるからと涙をのむのでしょうね。

 まだ、おかしな話があります。企業では、勤続年数によって給料が変わってきます。ところが医療の世界ではそれがないのです。科によって、全く違う。人の少ない科では、早くに上の位に上がれるので、給料も補償も約束されます。大所帯の科ではそうはいきませんから、いつまでたっても平社員と同じです。年雇いで、給料も上がりません。

 そんな環境があるとは知らなかった。近畿厚生局と言う医療を扱う場所にいる人もそんなことを言います。わたしは、知っていると思っていました。税務署と、厚労省、文科省、保健所、いろんなところに細分化されているのでわからないのです。でも、医者がそんな環境なら、おちおち見てもらえませんよね。いまだに医者の当直は、宿直扱いで明けがありません。看護師やパラメディカルは、当直扱いなので、明けがあるのです。なぜそんなことになるのか聞いたら、宿直は仮眠できるからだそうです。でも、一睡もできないことなんてざらにありますよ。一番頭を使わないとならない医者がこんな扱いです。

 資格を持つと逆に何も言えなくなる。ある人にそう言われました。そうかもしれませんね。労働者も、最低賃金などは決められていますが、資格者の最低賃金は決められていません。歯科医の世界、鍼灸整体の世界はもっと厳しいそうです。国が資格を与えすぎたから、オーバーになってきているためだそうです。一方で、いつまでたっても医者不足と言われます。

 でも、それも違うと思います。ちゃんと見れる医者が不足しているだけで、医者の総数は十分に足りているはずです。患者さんが増えたせいもあると思います。昔は自宅で寝ていた程度の風邪でも、医療機関を訪れます。本来は、人間ドックで調べるはずのものも、保険が使えるからと医療機関を訪れます。”この内容では保険は使えませんから”と、説明してくださいと近畿厚生局は言います。でも、そんなことできるわけもありません。何かあったら訴えれらるのは医者のほうで、近畿厚生局ではありませんからね。

 少しずつ、環境は良くなっているかもしれません。だからと言って、過去のことをなかったことにはできません。そういう環境で働いて、心にきづを持ってしまった医者がいっぱいいますから。過去はなかったことにするわけにいかないのです。

 みなさんも、医者が疲れていたら、聞いてみてください。昨日眠りました?って。。。。あまり眠っていないという医者には、後日見てもらうようにしましょう。。。頭が回ってるはずないですものね。。。。

 それから提案です。市役所の職員の給料開示がなされました。大学病院の職員の給料開示をみなさんで求めてみませんか?ベールに包まれたものなど、民意ではがせますよ。市役所の時もびっくりしましたよね。もっとびっくりする内容が出てくると思いますよ。それを見れば、主治医の先生にわがままを言えなくなるかもしれませんよ。。。。。

資格を持った女性の会・・・会員募集

Posted on: 木曜日, 12月 23rd, 2010 in: クリニックより

 資格を持った女性の会を立ち上げました。2年がかりの構想です。やっと立ち上げたのですが、会のHP作成費が38万円もかかってしまいました。それで、大慌てで会員を募集始めました。口コミだけで増やすつもりなので、ご興味ある方は、メールで問合せしてください。現状で何かに困っている方、過去に嫌な思いをしたから、そういったことをネット上で聞き役になってみたり、意見を言ったりしていきたいと思います。

 法的な問題が生じた場合など、有資格者のご紹介もできます。女性の会ですが、女性を支える男性会員を多く募集しています。今までの会とは違って、物言う会にしていきます。筋の通らないことは、複数で現場に行って説明を求めていくのです。政治や法律、役所などは誰も守ってくれません。自分のことは自分で守っていかないとならないのです。医療についても同じです。自分の体は自分で守っていく。。。そういう時代に代わってきたと思います。こういった縁からビジネスに発展することもあると思います。ぜひ、ご参加ください。右下にリンクもありますが、URLは以下になります。

http://workladies.org/

乳腺診療については、2月からになります

Posted on: 水曜日, 12月 22nd, 2010 in: クリニックより

 乳腺診療の準備が間に合っていないので、2月中頃からの対応になります。また、同時にホルター心電図も開始します。ホルター心電図は、うっとうしい検査ですよね、それで、当院では最新の小型のものを導入して、なるべく日常生活に負担がないようにします。なので、もう少しお待ちください。 

 また、肛門疾患で来られた時に、ついでにとご相談を受けますが、肛門疾患だけでもかなり説明に時間を要しますし、そのために完全予約制にして、待たせない診療を心がけています。なので、肛門疾患以外は、別の診療日に予約を取ってください。他の方に迷惑がかからないように、協力をお願いします。
 
 肛門疾患は、痛みや出血などで、あわてて医療機関を受診される方が結構おられます。なので、当日の飛び込みも受けるために、予約は少し余裕を持たせています。ただ、先に予約を入れた方が優先なので、当日予約の方は少しお待ちいただかないとならないかもしれません。ご了承ください。

 レストランのように、ちゃんと枠を開けての予約にしていて、一般の医療機関のように無理な予約はしていません。そのため、来院できないとき、遅れる時などは必ずご連絡をお願いします。また、万が一連絡なくて来られなかった場合は、デリケートな疾患なので、携帯電話以外には連絡を入れませんので、できるだけ携帯電話の登録をお願いします。病院勤務の空き時間に診療しているため、突発的なことがあればこちらから連絡をしなくてはならないこともあるかもしれません。電話が難しければ、連絡のつくメールアドレスの登録をお願いします。

口コミの書き込みをお願いします

Posted on: 火曜日, 12月 21st, 2010 in: クリニックより

 yahooのヘルスケアにクリニックが載っているそうです。そのせいか、最近電話問い合わせが多く、よく見ておられないのか診療時間まで聞かれているようです。yahooヘルスケアの情報にはうちのHPへのリンクはされていません。HPリンクに料金がかかるようです。http://business.yahoo.co.jp/healthcare/

 関連会社のほうで、携帯電話からの予約サイトを開発中ですが、まだ少し時間がかかりそうです。当院では、ホームページを見て興味をもたれ方を中心に、メール相談を併用して受診していただく方針で診療しておりますので、電話相談、電話問い合わせは極力受けない方向で考えています。

 実は、診療時間内にかかってくる電話は、スタッフの手を取られてしまって、本当に大変なのです。なるべく電話ではなく、事前にHPで情報を得ていただいて、勉強もしてから来院してほしい。そう思って、HP上にいろんな情報を載せています。また、経費節約のためにチラシや広告など費用のかかる宣伝は極力行っていません。

 なぜ宣伝しないのか?クリニックの収入というのは、7割が3か月遅れで入ってきます。保険診療の請求をして、審査を受けて、それから支払ってもらうので、3か月遅れになるのです。3か月遅れで必ず支払ってもらえるかというと、そうではありません。病名が足りないとか、適応ではないとかの理由で、支払ってもらえないものもあります。そのため、クリニックの確実な収入は、窓口で支払っていただくお金だけということになります。

 当院では、初診の方は1010円の一部負担金になっています。yahooのヘルスケアにうちのHPをリンクしてもらおうと思えば、年37800円支払いが発生するようです。37800円のお金を作ろうと思ったら、36人の新患を見ないとならないことになります。とんでもない数だと思いませんか?当院では、新患の方は、5人から、最大でも7人に限定しています。一人一人に時間がかかるためです。なるべく待ち時間を減らすように、予約時間も極力守ってもらうようにお願いしています。

 クリニックを訪れた方には、笑顔で帰ってほしい。そう思って診療をしています。

 一度受診された方は、ぜひ口コミに書き込みをお願いします。どうやってうちのHPにたどり着いたかは、私たちも興味があります。どいう言う経緯で、遠方からお越しいただけるようになったのかも、知りたいと思っています。いいことも悪いことも、書き込んでいただければ幸いです。http://health.yahoo.co.jp/hospital/detail/1019962/

私の母親。。。。

Posted on: 火曜日, 12月 21st, 2010 in: クリニックより

 私の母親は、戦争のころに小学校に行っていたようです。尋常小学校です。戦争があったため、疎開をしていたようです。どこの尋常小学校だったのか知りませんが、私が生まれた時は、親が残した家に住んでいたようです。蒲生四丁目の路地裏に家はありました。母は、小学校だけ出てアンプルを作る仕事をしていたようです。当時は技術職だったので、結構な収入があったようです。父は、四国から親とともに大阪に逃げてきたようです。中学までの学歴だったそうですが、若くして会社を興しました。

 父と母がどうやって知り合ったのかは知りません。父はまだまともに収入がなかったようで、両親を亡くして一人暮らしをしていた母の家に転がり込んだようです。母は先を読む能力があったようで、父は母と出会ってから、会社を興し商売もうまくいき出したようです。高度成長期だったので、何をやってもうまくいく時代でしたが、父はエンジンオイルのボトルキープというそれまでなかった商売を始めたようです。当然起業するにはお金が要りましたので、母がそれを出していたようです。

 蒲生四丁目の家は、二間と台所だけの平屋でした。小さな庭があって、犬小屋がありました。ある日父と戻ると鍵がかかっていて家に入れませんでした。お風呂の窓が開いていたので、父が私をお風呂の窓から中に入れて、私がカギを開けたことがあります。また、怒られて家を飛び出し、犬小屋で寝ていたこともあるようです。泣きながら、二駅向こうのおばあちゃんの家に、向かって歩いていた時もあるそうです。まだ小さかったので、ひとりで行けるとは思わなかったようで、後ろから両親がついてきていたそうです。ところが、ちゃんとおばあちゃんの家までたどり着いたそうです。

 子供のころは、近所の男のこと戦争ごっこをしていました。家にあるのもレーシングカー、刀のおもちゃなど女の子らしいものは持っていませんでした。見た目も男の子だったようで、ビキニを着せても、”僕ちゃん、いいのを着せてもらったね”といわれ、むくれていたようです。妹ができ、家が手狭になり、寝屋川に引っ越すことになりました。新興住宅街だったので、まだ家が建つ前に見に行ったのを覚えています。ここに台所、ここにおふろなどと、父が説明していたのを今でも覚えています。

 男の子の友達しかいなかった私のことを心配したのでしょう、わたしは聖母女学院という女子校に入れられました。その後はあまり友達もできませんでした。早生まれで、成長も遅かったようです。結局中学3年から、公立に飛び出してしまいました。親の思いとは逆の生き方ばかりしてきたようです。学校は嫌いだったので、中学も高校もあまり行きませんでした。一浪して、医学部に入りましたが、やはりあまり行きませんでしたね。ぎりぎりの点数で卒業し、なんとか医師国家試験に通り、医者にはなりましたが。。。

 母は、文字が読めません。それを改めて知ったのは、最近です。子供のころは、何かと代筆をさせられました。きょうこさんは字がうまいからと、おだてられてです。本当は、文字が書けなかったからなのですが。。。2年ほど前に、新聞は見ているだけだと気付きました。読んでると思っていたのですが、眺めているだけでした。去年の暮れに大腸がんになり緊急手術をしたのですが、人工肛門ができたので、それは大変でした。

 母は、潔癖主義だったので、肛門とか便とか耐えられないと思いました。人工肛門は小腸で作ったので、出てくるものは便になる前の消化液でした。臭いも何にもない液体だったので、なんとか母は、慣れてくれましたけど。。。一時的なものだったので、3カ月ほどして、人工肛門はなくなりました。母には、がんだとは言っていなかったので、主治医の先生に、がんだと伝えたほうがいいと言われました。妹は母に知らせたくないと言いましたが、何かと書類にがんという病名が出てくるから、そのうちわかってしまいますよと言われました。”大丈夫です、字は読めませんから”二人で同時に返事をしていました。

 最近になって、やっぱり読めないんだと思った事件がありました。血液検査の結果をたまには見せるようにと言った時、持ってきた書類が、領収書の明細だったのです。数字があるから血液の結果だと思ったようです。大笑いしてしまいました。

 そんな彼女ですが、60歳を過ぎてから、英会話を習い出しました。abcもわからないのにです。。。いつも本を持ち歩いて、勉強をしていました。温泉に行っても暇になると本を開くのです。ときどき質問をされましたが、それにこたえてあげるとまた一人で勉強しだしていました。ところが、最近の質問は、日本語のほうの意味とか読み方に変わっています。本当に日本語を知らないのだなあと思います。純粋な日本生まれの日本人なのですが。。。

 フランコの来日に合わせて、いろんな段取りをしましたが、通訳だけが困りました。私は少しは会話ができますが、仕事があるので、あまり相手はできません。いろんな人に聞きましたが、英語は苦手だと言われました。それで、結局母にお願いしたのです。通訳と言っても日常会話だけなので、大丈夫でしょう、静香ちゃんが同行してくれ、関空にフランコを迎えに行きます。大阪駅まで誘導して、雷鳥に乗せてくれと頼みました。切符の買い方がわからないというので、静香ちゃんを同行させることにしたのです。おばあさんと孫くらい離れている他人です。。。おもしろいコンビになりそうです。

 親の学歴がとか、親の収入がと言って、自分の学歴の無さを親の責任にする人がいます。私はそうではないと思います。中学までしか出ていない父と文字が読めない母のもとで、私は大学院まで行きました。自分のやる気だと思います。資格を取ることはいいことでしょうけど、今は実力をつけるようにスタッフには話をしています。資格がなくてもやる気があれば何でも覚えていけますし、そういう真の実力がいつか評価されると思います。思いを同じにしたスタッフが徐々にクリニックに集まりだしました。資格があるないにかかわらず、自分ができることを探してやっていこう、そう話しています。他人ばかりが集まって、一つの大きな家族のようになりだしました。他人の子供でも、みなが教育を始めています。おせっかいなおばさんの集団なのでしょうが、それなりに楽しいです。

解離性混迷

Posted on: 月曜日, 12月 20th, 2010 in: クリニックより

  解離性混迷の患者さんを見ました。解離性混迷とは、外部からの刺激に一切反応しなくなる状態です。息はしているし、血圧も脈もすべて正常なのに起こそうとしても起きないのです。こういった場合、痛み刺激というものをします。つねるよりきつい痛みを与えます。意識が悪くても、普通は少しは顔が動きます。解離性混迷の方は、全く反応しませんでした。仮死状態と言ってもいいでしょう、深い眠りについてしまったという感じです。

 解離性障害とは精神障害の一部ですが、解離というのは正常の延長線だそうです。外部からの攻撃から自分を守り、いやな出来事や過去の嫌な記憶から、自分を引き離して、こころの平静を保つための心的防御反応です。日常生活に支障がなければ、自分にとってはいい反応だと言えます。

 しかし、日常生活ができなくなるような状態になると、病的な解離障害となり、精神障害として扱われます。解離性障害になりやすい人は催眠にかかりやすかったり、空想の世界にのめりこむタイプだったりするといわれます。いやなことは忘れて、別の世界で暮らしたいと思ってしまうのでしょうね。現実の世界との接触をやめてしまったかのようになります。

 私たちの精神というのはすごいものだと思います。感覚まで消してしまって、死んだようにしてしまえるのです。良く、死んだふりをするといわれますが、実際できるわけですよね。病は気からと言います。生きようとする気持ちがなければ、傷だって直りが悪くなるのです。死にたいという人はよくいますが、人間なかなか死にません。どこかが故障しても、ほとんどは自己治癒力で、治してしまいます。人というのはまだまだ奥が深いですね。

反応性低血糖症

Posted on: 日曜日, 12月 19th, 2010 in: クリニックより

 きっかけは、傷の治りが悪いという訴えでした。糖尿病はないとのことでしたが、糖負荷試験をしてみたところ、反応性低血糖症とわかりました。インスリン分泌指数が0.09とかなり低く、糖尿病になる素因が非常に高いこともわかりました。反応性低血糖症とは、インシュリンの初期分泌が遅れるために高血糖になった後、遅れて出てきたインシュリンの効果により低血糖になってしまう病態です。

 24時間血糖測定を行ったところ、食後30分で血糖値が170台になった時に動悸や倦怠感が生じました。高血糖による症状と思われます。ところが、同じような症状が血糖上昇とは関係なく、2度起きています。これは、食後30分で、また同じ発作が出るのではないかという精神的な要因から、症状を再現したのだと思われます。夜間にも低血糖によると思われる覚醒があり、牛乳を飲むことで再び血糖値が上がり睡眠がとれたようです。

 対策としては、一日の食事を分割して摂取する分割食、吸収の遅いたんぱく質や油分を多くとり、でんぷん質や糖質はなるべく少量にすること、食事の30分前に、少量の間食を取っておくこと、夜間覚醒時は何か摂取することなどがあります。低GI食品が血糖値の上昇を抑えるのでいいのですが、単独で摂取しないと、低GIにはならないと思います。薬としては、糖の吸収を抑えるαGIがいいでしょう。もちろん、糖の吸収を抑えてくれるお茶などの飲み物もいいと思います。

正常と思われる方のデータ

反応性低血糖症