50年という年月
Posted on: 木曜日, 3月 31st, 2011 in: クリニックより50年という年月は、50周年記念として祝ったりするわけで、その間続いたことは本当に喜ばしいものなのだと思います。私の父は会社を経営していましたが、彼の死後人手に渡ってしまい、その後どうなっているのかは知りませんでした。一昨年の夏に、たまたま会社のあった場所の近くを通り、更地になっているのを見て、会社のことを調べました。
会社は移転して、3代目の会長が継続されていました。父のことはあまり知らなかったので、会長に会いに行って、なぜ会社が存続できているのかを質問しました。父の信念が変わらなかったこと、それを今でも貫いているからだと説明を受けました。その年、会社は50周年だったようです。そういう時期に、会社を思い出したことは何か運命に誘導されたと思いました。
50年間、継続して何かをするということは、ひとりの人間では無理です。同じ意思を持った人が集まったからこそ継続していけたのです。そっちのほうがすごいことだと思います。昔も社員が50人ほどいたと思います。社員は入れ替わっていきますので、現在私のことを知っている人は、ひとりだけだと説明されました。創業当時の社員はもう誰も残っていないと。父に会ったことがある人も少ない状況です。それでも、ひとりの思いを続けてくれているんです。
その後、私自身も会社を起こしましたが、一番のライバルは父の会社です。父以上の会社を作らないと、人生の目標を達成できないと思うからです。株式会社というのは、社会貢献するべきものだそうです。個人事業主というのは、個人の収益を作るものなので、法人化というのは、いかに責任のあるものかわかると思います。そう思って、企業や医療施設を見ていくと面白いかもしれません。
今日、誕生日を迎えたので、50歳になりました。単に年齢を考えるのではなく、自分が生きてきたこの50年を振り返って、新たな50年の始まりだと感じています。年齢は、自分で決めるものと普段は話をしています。年だから無理という言葉が嫌いだからです。82歳のお爺さん弁護士さんに出会って、私などまだ子供だなと感じました。元気な年寄りのいる大阪にしたい、そう思ってクリニックを始めました。子供が笑う大阪を作ろうと思えば、年配の方々の協力が必要です。
いい街にしていこうと思えば、たくさんの人の協力が必要です。震災など不幸な出来事もありましたが、暗い思いで過ごすより、元気に過ごすほうが、なくなった方たちへの弔いにもなると思います。大阪だけでも、元気にしたい。これからもそれは変わりませんね。