高血糖と低血糖のひらいクリニック

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ひらいクリニック

   外科OGTT脂質異常症甲状腺消化器総合診療科

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新型コロナを疑っている方へ

Posted on: 日曜日, 4月 5th, 2020 in: クリニックより

新型コロナにかかったかなと思っている方は、保健所に相談してもらうのが一番なのですが、保健所では濃厚接触者や海外渡航歴がある人などを優先して検査をしているようです。それで、疑いがあればまずは結核などを扱っていた病院にかかってください。感染症指定医療機関は以下です。

感染症指定医療機関(大阪)

○特定感染症指定医療機関(1病院)
りんくう総合医療センター

○第一種感染症指定医療機関(3病院)
りんくう総合医療センター
大阪市立総合医療センター
堺市立総合医療センター

○第二種感染症指定医療機関(12病院)
りんくう総合医療センター
大阪市立総合医療センター
堺市立総合医療センター
市立豊中病院
市立ひらかた病院
地方独立行政法人大阪府立病院機構 大阪はびきの医療センター
独立行政法人国立病院機構 大阪刀根山医療センター
高槻赤十字病院
一般財団法人 大阪府結核予防会 大阪病院
医療法人 仁泉会 阪奈病院
大阪市立十三市民病院
独立行政法人国立病院機構 近畿中央呼吸器センター

このうち、第1種指定医療機関はもう対応ができないと思うので、第2種で以下の病院が対応していただけると思います。

市立豊中病院
市立ひらかた病院
地方独立行政法人大阪府立病院機構 大阪はびきの医療センター
独立行政法人国立病院機構 大阪刀根山医療センター
高槻赤十字病院
一般財団法人 大阪府結核予防会 大阪病院
医療法人 仁泉会 阪奈病院
大阪市立十三市民病院
独立行政法人国立病院機構 近畿中央呼吸器センター

スノーボードのインストラクター講習で意外な出会い

Posted on: 土曜日, 4月 4th, 2020 in: クリニックより

スノーボードのインストラクター講習で意外な出会いがありました。アルペンで参加している方がいたので、フリースタイルで参加しないとならないと思っていたので、聞いてみたのです。”アルペンで参加してもいいんですか?”って。その方は、アルペンでしか参加できないですとおっしゃったのですが、同時に自分の声が出にくい原因を教えてくださいました。

びっくりしたのは、別の病気なのに苦労したのが同じような症状だったってことでした。私は、再びスノーボードができるようになるとは思っていませんでしたが彼は声がかすれて出なかった時も講習に参加していたようです。

講習は雪不足の影響、新型コロナの影響、当日の天気の状況から、予定されていたスケジュールと全く違う手順で進められ、昼の休憩もなかったことから、その方と再びしゃべることもなく、講習終了とともに雨が降り出したので、急いで解散してしまいました。

雪山でしか会わない、友人はたくさんいます。名前も知らない人もいます。また来年って言って別れるだけです。講習の時のアルペンライダーにもどこかのスキー場で会えたらいいなと思います。

イントラ年次講習はとても楽しかったです

Posted on: 金曜日, 4月 3rd, 2020 in: クリニックより

イントラ年次講習はしょっぱなから波乱続きでした。午前中は座学、午後からゲレンデに出て2時間の実技講習の予定だったので、板のレンタルも午後だけにしていました。板は初心者用の柔らかい板しかないよと言われましたが、基礎の講習だと思っていたので、柔らかくて大丈夫ですと言ってました。

ところが、受付前に張り出されたグループ分けでは私は基礎グループではなかったのです。スタッフに基礎だと思っていましたというと、一度基礎の講習を受けていたら、基礎ではなくて応用?の方になるようです。午後からだと思っていた実技は午前の座学を30分ほどに短縮して、すぐに実技を始めるとのことで、慌ててレンタルショップに借りに行って、リフト券も用意しました。

30分の密度の濃い座学は講師のトークがうまくて引き込まれるようでした。そのあとすぐにゲレンデに出て、いきなり上級者用のリフトに向かいました。私は2シーズン全く滑っていなかったし、板もレンタルなので、慣れていない状況です。”どないしよーーー”と思っていたら、案の定、最初の急斜面で転倒して、お尻で滑落してしまいました。

でも、講師が無理しなくていいと言ってくれたので、出来る範囲でついていきました。周りもインストラクターですが、自分が習うことに必死です。私も邪魔しない程度に、おとなしく滑るようにしていました。2時間だったはずの実技は3時間に増えて休憩なしのぶっとうし。だんだん、いつものようにレッスンを受けていると勘違いしだしたほどです。

最後に再び、上級者用のリフトに向かうときには、スケーティングが出来なくて、板を外してリフトに向かいました。講師は途中棄権してもいいと言ってくれましたが、こうなったら意地でもついていこうって。でも、肺が裂けるかって思ったぐらい大変でした。後で聞いたのですが、標高1500mだったので、酸素も薄かったそうです。

上級者のリフトを下りたら、皆さん待っていてくれました。そこに、基礎のチームが合流して、基礎チームは昼ご飯を食べたし、Bチームはもう終了したと聞いたのです。”うっそーーー”って思う間もなく、”一番羨ましがっているのは平井さんでしょう”と講師に的をつかれ、ずっこけてしまいました。

最後までついて行けたのは、自分の自信にもつながったし、何と言っても、その日に一緒に滑ったイントラの方々と、素敵な講師との出会いに感謝しました。後で知ったのですが、講師は私のスノーボードの師匠の大先輩だそうです。どおりで後姿がそっくりだったわけです。

産業医の現場を大事にしています

Posted on: 木曜日, 4月 2nd, 2020 in: クリニックより

産業医になったものの、産業医の仕事は見つからず日が過ぎていきました。その間に労働衛生コンサルタントも取ったのですが、産業医の上の国家資格で合格するのも難しいのですが、知名度が低く、だれにも理解してもらえませんでした。産業医は医師会が仕切っているようで、個人に仕事が入ってくることは無いと友人に聞きましたが、医師会は入っていないので仕方ないと思っていました。

ところがホームページで見たと、飛び込みで仕事の依頼が来ました。実際に仕事を始めるまでには時間がかかったのですが、ようやく契約まで済んで、会議初デビューだったのですが、台風の影響で施設に損傷ができ、会議は中止になりました。損傷の程度の視察をしたいと申し出ましたが、危ないからと断られました。ようやく初めての会議。。。。緊張していましたが、こんなものなんだとわかりました。

そして、2回目の会議の日に急遽入院が決まってしまい、申し訳ないですが、手術のため欠席しますと伝えて、手術に臨みました。手術の翌月には会議への出席を再開したのですが、出席することが精いっぱいの時期でした。何の手術をしたのかとか病名含めて伝えていなかったのですが、術後だということはわかっていたので、心配してもらっていました。

やっと、私の病気のすべてを会議で伝えることが出来ました。伝えてもいい時期が来たと判断したからです。会議は私の思惑どおり、笑いの絶えないものに変わって来ていましたので、私の病気の報告の時も笑い声が絶えませんでした。個別の生活指導もしたかったのですが、術後の体調不良で対応できない日が続いていたのですが、その件もやっと話を進めることが出来ました。

大企業の子会社ですが、バックに大企業が付いているので、何事も本当にしっかりしたことをやっています。そんな環境は、医療の世界では存在していないと思います。大企業というのが医療の中にはないからでしょう。父が中小企業の経営者だったので、企業というものに興味があり、頭を突っ込みだしたのですが、父の仕事に共感できなくて医療の世界に一人で飛び込んだのに、再び、企業に興味を持ち頭を突っ込んでいるのですから、何があるかわからないものですね。

大切な友人の命日です

Posted on: 水曜日, 4月 1st, 2020 in: クリニックより

私のことの唯一の理解者だったかもしれない友人の命日です。孤児院で育ち、社会人になってから公立の医学部に入学し、医者になった人です。気性も激しく、整形外科医だったのですが、外科医を嫌う典型的な先生だったと思います。ところが、何がよかったのか、私のことは一目置いてくれて、高い評価をしてくれていました。

長い間、交流もなかったのですが、共通の知り合い通じて再び再開し、楽しい時間を過ごしました。自分の大学の同窓会の集まりに呼んでくださって、そのメンバーになればいいとも言っていただきました。でも、出身大学が違う以上、学生時代の共通した思い出がないわけで、メンバーに入るわけにはいきません。ただ、個々の先生方とは個別にお付き合いはさせていただいたんですけど。

彼にがんが見つかり、余命が告げられたと本人がFB通じて公表し、その後どう過ごしたかも公表しました。開業医で儲かったお金はほとんどを出身大学に寄付されました。それも、返済しないとならない奨学金では無くて返済しなくていい奨学金を作ったのです。FBのメッセンジャーを使って公表していたので、返信してみたのですが、返事はありませんでした。返事する余裕はなかったのかもしれません。

彼がなくなったと聞いたのは、一昨年の春でした。亡くなった後で命日を聞いたのですが、私の誕生日の翌日でした。私の誕生日を避けてくれたんやって思いました。エイプリルフールに亡くなるなんて彼らしいって思いました。彼に病気が見つかった直後に彼のクリニックの診療を手伝いに行くことになりました。整形外科的なことはできますので、問題はなかったのですが、狭い診察室にこもりながら、彼は何を見て何を考えていたんだろうって思いました。

わたしだったら、そんな狭い診察室は嫌でしたから。気性の激しい人で、スタッフは入れ替わりながら、彼の文句を言いに来ていました。でも、そんなこと言いながら慕っているのはひしひしとわかりました。次の先生が見つかるまで、医者が入れ替わり入り、スタッフだけで運営されていました。結局、看護師の知り合いの医者が診療所ごと引き継いだのです。私は、閉院したらスタッフが仕事失うので、そっちが心配で現場に手伝いに行っていたので、話が決まったと聞いてほっとしました。

今回、私が病気療養することになったのですが、その時期が彼がなくなった年の秋でした。自分に病気が見つかったとき、彼が知らせに来てくれたと思ったんですよ。それぐらい、早い時期に病気が見つかったので、私の事を心配してばかりしていたので、病気のことも告げに来たんだろうなって思いました。