フランコとのこと
国を超えての友情だったと思います。2009年7月オークランドでたまたま入った店で彼は演奏していました。1時間ほど、演奏を聴いて踊って楽しんだと思います。演奏が終わってから、バーテンダーさんに頼んでジャックダニエルをいっぱいごちそうしました。バーテンダーさん通じて連絡先を教えてほしいと伝えてもらうと、彼がやってきてメールアドレスを書いてくれました。。
日本に戻ってから、翻訳ソフトを使ってメールを書きました。”大阪に来たら、ライブができる場所は作ってあげるよ。”返事が来ると思っていなかったので、英語で返事が来たときはびっくりしました。英語があまり得意ではないので、ニュージーランドに住む友人に間に入ってもらい、2-3通メールのやり取りをしました。すぐにでも日本に来たいと言い出していたのですが、私のほうに事情ができたので少し待っててくれと伝えてもらいました。フランコから聞くとそのあと数カ月は連絡が途絶えていたようです。
去年の夏前に再び連絡をとりだしました。ニュージーランドに行くことが決まったからでした。でも、どう話を進めていいのかわからなかったので、再会することができればこの話を進めましょうと伝えてもらいました。2010年7月にニュージーランドのクイーンズタウンをおとずれました。いつもなら、オークランドに移動してから帰国になるのですが、クイーンズタウンからそのまま帰国できるように変わったようでした。再びフランコの演奏が聴きたかったので、オークランドに一泊して、成田経由で帰ることにしていました。
あの日のライブハウスで演奏していると思っていましたが、昼間にマオリ族のイベントに出演しているとのことでした。そのイベントに来るように言われましたが、飛行機の時間と会わないと伝えてもらいました。それならと6時にホテルのロビーに行くと。6時少し過ぎて、彼がやってきて、彼のオリジナル曲が入ったCDをくれました。メールの向こうにいた人が、本当に表れたんだと少し興奮しました。後で知ったのですが、彼が演奏していた店はつぶれていたようです。
2度の出会いとも、5分くらいのことでした。私は何も話さなかったようで、今回の来日で片言で話していると、英語をよく勉強したんだねと言われました。彼は、私が全く英語がわからない人だと思っていたようです。2度の出会いでもらったものは、メールアドレスとCD1枚だけです。
たったそれだけのことで、私たちがお互いを信用したことも不思議なことでした。たった一つの約束から始まった今回の再会は、本当に不思議なことばかり続きました。連鎖反応が起こったように二人の周りにいろんな人の縁ができていき、静かな水の中に水滴が落ちた後のように輪が広がって行きました。
私がしようとすることは、周囲には理解しがたいようです。今回も飛行機の手配からホテルの手配、ライブ会場の手配など、ほとんど一人で進めてきました。周りに話をしても、現実味がなかったようです。ひとりでできると思っていたことの多くは人の助けがあってはじめて進んで行きました。
フランコが飛行機に乗ったころだねと聞かされたときは、本当に興奮しました。本当に来るんだと思いました。関空に迎えに行ったスタッフから、到着したと連絡があり、フランコに電話を代わってもらったときは、本当に来たんだってびっくりしました。その後、金沢の宿で合流するまでまだ現実味がなかったのですが、宿の玄関で迎えてくれたときは、感動の再会でした。1年半かかったけど、やっと約束が果たせたと思いました。
そのあとの10日間は、本当に流されるように進んで行きました。仕事は通常どうりしていたので、いろんな人にお世話になりました。いつもものすごく忙しいドラマーの人が、たまたま開いていたために最終日はフランコのためにバックバンドも作れました。本当に縁のあった人が集まった気がします。
最後の夜、ベランダで夜景を眺めながら、彼は私のことを天使だと言いました。私にとってもそうだよって話しました。アメージングストーリーだったねと言うと、必ず自分の力で日本に戻ってくると言いました。ストーリーはまだ終わっていないことは、彼も私もわかっているようです。
今回お世話になったかた
金沢で通訳をしてくださったMさんとその生徒さん。なんと次の日生徒さんに運転させてある寺に行っていたようです。後でそのことを知ってびっくりしました。金沢の喜兵衛のおかみさんは、フランコをホテルまで迎えに行ってくれました。セイモアでは新しくできたレンタルショップで30cmの靴と板、ウエアーを借りることができました。去年までは30cmの靴なんてなかったんですよ。夜には宿にたまたま泊っていたお客さんがフランコの演奏を聴いてくれました。ホットワインを飲みながら、畳の上で日本での初ライブでした。大阪では、MACのママさんが温かく迎えてくれて、豆腐料理店のマスターも歓迎してくれました。シカゴロックでは、りゅうのすけを前座に手配してくれていて、彼の演奏を待ち構えてくれていました。予防会大阪病院では、看護部長が本当に暖かく迎えてくれました。いろんな場所で、通訳ができそうな人を用意していてくれたり、ニュージーランド人が来ると聞いて、駆けつけてくれた人もいました。出迎えるはずだった母は、骨折して入院してしまいましたが、二人でお見舞いにも行けました。
フランコの話は早くからあちこちでしていたのですが、みな本当のことだとは思わなかったようでした。彼を連れていって初めて本当のことだったとわかったようです。
もう少し、彼が去った後の後始末をしたら、元の生活に戻らないとなりません。次に再会できる日を夢見て、また新しいことに挑戦していきましょう。