息を引き取るという言葉。。。
医者になって、24年になりますが、この言葉の意味を知ったのは、何カ月か前です。医療の現場では、命は助ける方向になされます。特に、私がいたがんの世界では、その傾向が強かったものです。呼吸状態が悪くなれば、人工呼吸器を使いますし、血圧が下がってくれば、血圧を上げる薬を使います。そういう環境下では、心臓が疲れて止まらない限り、生き続けることになります。
人が亡くなる場面は、よく見てきていました。薬を使っても、血圧が上がらなくなって、脈が徐々に低下していって、心臓が止まってしまって、人工呼吸器をはずす判断を家族に求めます。死亡時間というのは、医療側が決めていました。
はじめて、寿命が途切れる瞬間を見たのは、何カ月か前でした。息が苦しそうですと呼ばれて、ベットサイドに行きました。蘇生処置は、家族が望んでいないと聞かされましたが、苦しそうにしてるのは、なんとかしてあげたいと思います。血液中の酸素を調べても、正常、ほかの血液検査も全く正常です。脈は少し早いですが、心電図にも異常はなく、血圧も正常。
何が起こっているのか理解できない状況です。なにもするすべがないまま、少し呼吸が楽そうになってきました。看護師たちが、座らせたほうが呼吸が楽になると思うと、座らせて、背中をさすっていました。
その時、急に眼を見開いたのです。看護師の一人が、目の前に手をかざしました。見えてるかどうか調べたのです。見えてはいないようでした。
そのまま、楽そうな顔になってきたと思ったら、息が止まりました。心電図は全く正常なままで、家族を呼んでもう危ないと思うと話をして、みんなに見てもらいながら、最後に心臓が急に止まったのです。
寿命が途切れる瞬間でした。心臓は全く正常なまま、血圧も保ったまま、急に停止してしまったのです。人間の死とはそういうものかもしれません。
息を引き取るという言葉どうりの光景でした。24年間も医者をしていながら、そいう瞬間を見たことがなかったのです。
言葉には必ず意味があります。現代の社会では、それを確認できることも少なくなったのだと思います。人間も哺乳動物の一種です。人間だけ特別ということはないはずなんです。人間が作り出したものが、すべて正しいはずもなく、そういったことも、これから見直してみたほうがいいのかもしれません。